昔々の 記憶の彼方にあるものを,懐かしく紐解いている。
それは自分で描いた絵をもとに刺繍をしてみたいと思った時から始まった。
写生をしなくては。
そんな強い思いに引きずられた若き日の事。
絵を描くのは好きではなかったが、
形を操るには写生をするしか方法がないと思っていた。
古典を模写してつなぎ合わせて、繰り返して、人まねをするのは
それはちょっと違うと思っていたから。
描いても描いても、これでいいのかよくわからなくて、
それでも描きつづけていたころのスケッチ。
どうしてもこの花を描きたいと思って描いたのではない。
かといって、たまたまそこにあったものを描いたのでもない。
なぜか心を動かされ、美しいと思ったからであろう。
この当時は「刺繍の模様にしよう」と写生をしていない。
前にも言ったが 形を操るには写生しか方法がないと思っていたから。
細部もしっかり見なくては、そう思っていたから。
こうして昔のスケッチを見直すと、
見たものを「紙の上に置き換えることの難しさ」に翻弄されながら、
少しずつ分かりかけたころの「スケッチ」だなと色々思い出すのです。
「花、果物、野菜、風景、立ち木、人物、鶴の折り紙」も描いた。
「トンボ、ザリガニ」はビニール袋に入れて描いた。
ある時期には「一日1点のスケッチ」の張り紙が
部屋のいたるところにペタペタ張ってりました。
「干し柿」を描いていて、
睦子先生が「干し柿は茶色いのだから茶色は塗らなくてもいい、
それよりもその茶色の中にある赤味を描いておけばいい」
どうしても元の色にしたいのなら後から
(現場を離れて家に帰って時間を作ってっから)
「茶色」を塗ればいい。「今はメモでいい」と。
そんなことを言っておられたのです。
写生時間を短縮する方法ですかね。
いまだに忘れないで覚えているものです。
そう言えば、桜の季節に「あと何回桜が描けると思っているの!」
と言われたことが在る。この年になると、身に染みる言葉です。